骨董品・美術品ミニ知識

陶磁器ミニ知識

投稿日:2021年4月29日 更新日:

薩摩焼 花入

薩摩焼 花入薩摩焼(さつまやき)は鹿児島県のやきものです。
約400年前、薩摩藩主・島津義弘が朝鮮の陶工を連れ帰ったことからはじまりました。
白い器肌の「白もん(白薩摩)」と黒い器肌の「黒もん(黒薩摩)」という、大きく2種類に分かれます。白もんは芸術品として、黒もんは庶民の日用雑器として作られました。
江戸時代、薩摩藩主の御用品であった白もんは、長い間一般には見ることができなかったやきもの。明治維新以降は「サツマウェア」として海外へ輸出されました。
現在は一般でも比較的簡単に拝見できますが、このような背景があることを知っていれば、また違う感覚で見ることができそうです。

御神酒徳利

御神酒徳利おみきどっくりと呼ばれる一対の徳利。 落語の演目にもでてきますね。字のとおりお神酒を入れて神前にお供えする徳利です。口の部分に木製や紙の装飾物を挿す、神酒口(みきぐち)を用いることもあります。

現在一般に見られる徳利と言えばお酒を入れる器ですが、昔は何升も入る大徳利などもあり、それには酒のほかに醤油や酢などを入れ、貯蔵や運搬としての役割も担っていました。現在の小さな徳利は江戸時代から普及し、お酒を直接盃に注ぎ飲むようになりました。

マイセン パゴダ人形

マイセン パゴダ人形表情豊かで愛嬌のあるこのお顔。マイセンのパゴダ人形という磁器の置物です。マイセン初期の造型師ケンドラーによるもので、1720年以降に作られました。中国の神像の形をした香炉や坐像であるこの置物は、オリエンタル嗜好が盛んだったヨーロッパの時代背景の影響を受けています。

頭と手はゆらゆら動き、舌は出たり入ったりするからくり仕掛け。男女一対からなり、大きさは3タイプとされています。資料によるとプロイセン(北東ヨーロッパの地域)のフリードリヒ2世が10個のパゴダ人形を注文したとか。
現在は製造していませんが、マイセン窯以外の窯でも模倣し作られていたというように、人気のあるアイテムだったようですね。

マイセン】18世紀から続くドイツの名窯
【磁器】「石もの」ともいわれ、陶石(白色の硬質の石)・珪石・長石・石灰・カオリンなどを原料とする白色の器

金富良舎(こんぷらしゃ)の醤油瓶

染付陶枕長崎県波佐見町で作られる陶磁器、波佐見焼。近年では、日用食器が主流になりましたが、こちらの写真の瓶。江戸時代、長崎の商人が立ち上げた組合のコンプラ社(金富良舎)。海外との貿易で、日本のお酒や調味料の醤油などを輸出する際に使用されていた、コンプラ醤油瓶です。
現代の使いやすい醤油差もいいですが、このコンプラ醤油瓶も風情があり、使ってみたいものです。

染付陶枕

染付陶枕ゴロンと横たわった子供のような置物。いいえ、これは置物ではなく枕です。陶枕(とうちん)というこの枕は、陶磁器でできています。
中国は宋時代(10世紀〜13世紀ころ)の磁州窯(じしゅうよう)で作られたものが最も多く、日本にも伝わりました。
中が空洞でそこに小石が入っているものもあり、振るとカラカラと鳴ります。形は人物や動物などさまざまあり、青磁や白磁、染付など技法もさまざま。硬く、冷たい質感なので、主に夏に用いられました。江戸時代では昼寝などに用いられていたようで、広く愛用されていました。

ノリタケ 飾皿

伊万里焼 色絵髭皿まるで一枚の絵画のようですね。しかしこれは磁器でできたお皿です。
ノリタケの作品にはこのように絵画のような作風のものもありました。この画の作家は中島音次郎ですが、他にもさまざまな作家の作品があります。洋食器のイメージが強いノリタケの作品からは珍しいと感じるかもしれませんが、それもまた魅力ですね。
ノリタケ:明治期から続く日本の洋食器メーカー

伊万里焼 色絵髭皿

伊万里焼 色絵髭皿ひげざらと呼ばれるこの器。色絵や染付に鮮やかな模様が施され、使うのがもったいなく感じますね。
髭皿は名前のとおり、理容店で髭を剃る際に使用されていました。ヨーロッパで用いられていたとされ、下部の半円に削られた部分に顎をのせて剃っていたようです。しかし、悪い血液を採血する瀉血(しゃけつ)に使用されていたという説もあります。当時のヨーロッパの理容師は外科医も兼ねており、瀉血の際にこの髭皿を代用していたのでしょう。

上部には小さな丸い穴が開いており、普段は吊り下げるか掛けていたようですが、壁面装飾として飾られていたとも言われています。
一見欠けて壊れているかのように見えるビジュアルですが、ちゃんとした用途を持っている器なのです。

【伊万里焼(有田焼)】
佐賀県有田市焼かれたやきもの
日本で最初に磁器が作られたとして知られる
17世紀には海外輸出をして全盛期を迎えた
(柿右衛門様式)

縁起物

縁起物工芸品は描くことも形作ることもできます。さまざまな模様や形が作られる中で、福を呼ぶものとして知られる「縁起物」は日本人にとって特別な存在なのではないでしょうか。お祝いの気持ちを表したい時、縁起を担ぐ時、またはその力を借りたい、あやかりたい時などしばしば登場するのが縁起物です。七福神や打ち出の小槌など見ればすぐ福を呼ぶものとわかるものや、松竹梅のようにさりげなく描かれよく見れば縁起物だとわかるようなものなど、表現方法はさまざまです。このように運気を上げるモティーフは時に目で楽しめ、時に心を和ませるものとして現在も作られ続けています。

白磁の踊人置物

白磁の踊人置物時代ものから現代のもの。陶磁器や金属、布を纏ったお人形まで。様々な表情の置物は見ているだけで心が和みます。
白磁(はくじ)は中国隋時代から使われている技法です。白い素地に透明釉をかけ高温で焼成します。主原料は白い粘土(カオリン)。主に中国北部で生産され、後に日本をはじめとするアジアやヨーロッパへと広まっていきました。

ノリタケティーセット

ノリタケティーセットなんとも優雅なティータイムが楽しめそうな食器ですね。ノリタケは明治期から続く日本の洋食器メーカーです。作風はアール・ヌーボーやアール・デコなど当時の美術様式の変動により変化しているという特徴があります。当時の日本はこのような海外に目を向けた食器を製作するメーカーが出てきた時代でした。現在の洋食器の前身であり、貴重な存在です。

「ロイヤル」の称号に相応しいデルフトブルーの飾壷

ロイヤルデルフト飾壷デルフトブルーと呼ばれる絵付けがされた草花の模様の飾壷。蓋付で器肌は楯の筋が入り、品の良さが出ていますね。
オランダの老舗洋食器ブランド・ロイヤルデルフトは、17世紀から続く歴史ある窯であり、オランダ王室から「ロイヤル」の称号を授かりました。当時は日本や中国などのやきものがヨーロッパで流行していた時代。オランダも例外ではなく東洋の作風を取り入れました。東洋技術に倣った西洋のやきものは、異国情緒を漂わせる作風として人々を魅了していきました。

第6の窯場として日本海沿岸の交通に寄与した越前焼

古田織部「越前焼」という名前が定着したのは、第二次大戦後のことです。中世から5つの窯場が知られていましたが、1942年以降、古陶磁器研究家の小山富士夫らによって、越前のやきものの存在が確認され、第6の窯場として有名になりました。

越前焼の生産が盛んであった室町時代には、北海道から島根県にわたり、日本海沿岸の広い地域で製品が使われていました。越前の冬は土さえ凍り、作陶ができない過酷な自然環境にありながらも、日本海の海上交通に重要な役割を果たしていたと推測されています。

千利休の弟子であり、信長・秀吉・家康に仕えた古田織部の名を冠したやきもの

古田織部古田織部は美濃に生まれた武士、そして茶人で、大茶人と称される千利休の弟子でもあります。信長、秀吉、家康と三代の天下人に仕えたことでも有名で、利休の死後、桃山時代に茶の世界の指導的立場に立った古田織部は、自由奔放で大胆な変化のあるやきものを好みました。これは簡素で素朴なものを好んだ利休とは対照的でした。

織部焼には様々な種類があり、器の一部に銅緑釉、残りに鉄釉で縞模様をほどこした「青織部」、全体に銅緑釉をかけた「総織部」、器全体に鉄分の多い黒錆釉をかけ、瀬戸黒と同じ方法で漆黒を表した「織部黒」などがあります。

加賀藩が支えた美しいやきもの九谷焼

九谷焼九谷焼の見事な絵付と高度な技術が発達した背景には、九谷焼を文化・産業として保護した加賀藩の活躍によるところもあります。
京焼の名工・青木木米(あおきもくべい 1767年-1833年)を招いて現在の金沢市に春日山窯を築かせ、早くから生地作りと絵付けを分業化させたことによって専門職人の技術が高められました。
九谷焼の色絵では「青手(あおで)」「五彩手(ごさいて)」がよく知られています。

器、柄、高台。全体で一つの作品。鍋島焼染付皿

鍋島焼染付皿皿に描かれている文様は草花や動物、人物など様々です。
文様が描かれている表面に注目が集まりがちですが、高台と呼ばれる底の部分にも表とは違った世界があります。この皿の表は菊花図ですが、高台は別の種類の花が描かれています。器は全体で一つの作品です。いつもと違う角度から見てみるとその器の魅力がよりわかるかもしれません。

■鍋島焼
伊万里焼を支配していた鍋島藩(佐賀藩)が献上用に独自で開発したやきもの
■染付(そめつけ)
白い素地に酸化コバルト(呉須)を用いて文様を描き、透明釉で焼成したもの

香蘭社、深川製磁

香蘭社、深川製磁香蘭社、深川製磁の商品は皿、鉢、ティーカップ、花入などに人気があり、花文様、魚文様、花鳥図などの絵柄の作品が多くみられます。
香蘭社(こうらんしゃ)は、佐賀県の肥前有田にある有名な洋食器メーカーです。 八代深川栄左衛門が、手塚亀之助、深海墨之助、辻勝蔵らと共同で創設し、輸出陶磁器の生産を目指しました。その後深川栄左衛門のみになり、1879年(明治12)合名会社香蘭社(現・株式会社香蘭社)として再出発をし今日に至っています。

九谷焼

九谷焼九谷焼は上絵付(うわえつけ)に魅力があり、大きく分けて「五彩」と「青手」があります。

【五彩】 呉須(ごす/群青色の釉薬)で線を描き、黄・緑・紺青・紫の透明な上絵具と不透明な赤の絵具からなり、厚く盛り上げています。呉須の線と絵具の重なりにより他の色に見えるなどの色彩の変化が愉しめます。

【青手】
青手は素地の白さを残さず塗りつぶします。五彩の絵具の中の赤を除いた2つまたは3つの色のみを用います。再興九谷以降の作品では、吉田山窯が青手古九谷を再興し「青九谷」を、宮本屋窯は赤絵金彩の「赤九谷」、九谷庄三(くたにしょうざ)の作品で知られる彩色金襴手の技法が登場しました。
絵柄は山水や花鳥など絵画的なものや野菜、道具類など個性的な絵図のものも見られます。皿や置物、茶碗など様々な形状の作品が作られていますが、構図や色彩とともにどれも陶工の個性が表現されています。

九谷焼の陶磁器には食器類などの道具以外に飾って鑑賞するものとして置物の作品も数多く制作されています。人物(人形)や動物、植物など題材は様々で、土の素材を生かした素朴のものや色絵などの技法を使い文様を施し優美な表現をしている置物なども制作されています。

伊万里焼・有田焼

伊万里焼・有田焼1600年代初め頃から佐賀県有田町周辺で焼かれ始めた焼き物は総称して「有田焼」と呼ばれています。その後、最寄りの伊万里港(佐賀県伊万里市)に運ばれ海路で国内や世界各地に輸出されるようになった頃には「伊万里焼」という名称でも呼ばれるようになりました。

日本の磁器は江戸時代初期(1610年代)、佐賀県有田市で初めて作られたと言われています。「伊万里焼」と呼ばれるようになった理由が、有田町で焼かれていた有田焼を各地へ出荷していた港(港があった地域)の名称であることから、「伊万里焼」の方が通称のようなイメージと言えるかもしれません。 また、現在では有田焼と伊万里焼は同じものとされていますが、美術品に詳しい方や鑑定する方から見ると、有田焼と伊万里焼は個性や作家で区別することが可能な作品が多数見られます。

伊万里焼の誕生には諸説ありますが、通説によると豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、佐賀藩主(鍋島藩)が連れて帰ってきた朝鮮人陶工が磁器製作に貢献したと言われています。
伊万里焼には時代の移り変わりにより「初期伊万里」、「古九谷様式」、「柿右衛門様式」、「金襴手」といった多様な様式を生み出しました。

鍋島様式

柿右衛門様式中国様式の影響を受け発展した伊万里焼に対し、伊万里焼を支配していた鍋島藩(佐賀藩)が献上用に独自で開発したやきものが鍋島焼です。鍋島藩は1670年頃、窯の経営に着手し大川内山に藩窯を築きました。
絵画のような筆致表現が技術力の高さを物語っており、また絵付技法の色鍋島のほか、白磁染付に青磁釉など、優雅さを感じさせる色の調和が鍋島焼の特色にもなっています。

柿右衛門様式

柿右衛門様式現在の柿右衛門窯は、佐賀県西浦松郡西有田町に構えられています。
1640年代、初代柿右衛門がそれまで青色による絵付けのみだった有田焼に、赤色を絵付けすることに成功します。以降300年以上を経て、柿右衛門の名は現代まで受け継がれています。

柿右衛門様式は「濁手(にごしで)」と呼ばれる白い生地に、余白を活かした花鳥などの鮮やかな絵付けが施される、発色の美しい作品です。
花や鳥の文様の鉢や皿などに温かみのある白色素地は、ヨーロッパの色絵磁器の手本になるほどの技術に成長していきました。
柿右衛門様式は飾皿、鉢、碗、花入、壷などに人気があり、栄匠堂でも買取させて頂くことが多い名品です。

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