陶磁器(陶器・磁器) 買取|高価買取

陶磁器 買取

陶磁器

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陶磁器をはじめ、骨董品の買取お見積り、宅配送料、出張料金、買取手数料が全て無料です。

陶磁器の買取

栄匠堂では、皆様が引き継がれた骨董品としての陶磁器や、使用されなくなった陶磁器を買取しております。
「表千家」「裏千家」「武者小路千家」など書付道具は特に高価買取致しますので、大切な陶磁器は、ぜひ栄匠堂へお託し下さい。

陶磁器 買取事例

陶磁器(茶碗、花入れ,皿、徳利など)の買取を致します

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陶磁器とは

陶磁器 骨董品 買取陶磁器とは「陶器」と「磁器」のことで、素材の違いにより呼び方が異なります。
陶器(とうき)は土物(つちもの―陶土と呼ばれる粘土)が原材料で、磁器(じき)は石物(いしもの)-石英や長石などの陶石)を原材料としています。

中国では6世紀ごろから白磁や青磁が製造され始めたとされていますが、西洋では長い間磁器の製造ができず、中国や日本から輸入された磁器は、金銀宝石に匹敵する価値とされ、王侯貴族の間で珍重されていました。そのような背景の中、「マイセン」がヨーロッパで初めて磁器を作りました。

日本では土も磁石も質の良い素材が出土し、陶器製品と磁気製品の両方が発展しましたが、ヨーロッパでは、良質な磁石が出土する地域が多かったため、磁器製品中心の文化が発展しました。

» その他のやきものは「全国やきもの工芸品(やきもの編)」をご覧ください

有名作家

  • 酒井田柿右衛門

  • 今泉今右衛門

陶磁器・骨董品を誠実評価・現金即決・高価買取致します陶磁器・骨董品の買取 栄匠堂(京都)遺品整理、遺産整理のご相談も承ります簡単3ステップで陶磁器を買取させて頂きます。

陶磁器の買取

栄匠堂では、皆様がお持ちの陶磁器を買取しております。
さまざまな陶磁器を買取致しますので、ご相談下さい。

中国骨董品である唐物陶器、古備前といったアンティーク陶器製品、西洋アンティークの磁器製品も買取いたします。

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陶器

陶器(赤楽)
陶土(とうど)という粘土を主原料とし、「土もの」ともいわれます。
日本では5世紀頃の須恵器(すえき)から始まったやきもので、7世紀には中国の唐から釉薬の技術が伝来し、陶器が作られていました。
備前焼・信楽焼・常滑焼などの焼き締めである炻器(せっき※1)も陶器として含めていう場合があります。

特徴は、全体的に厚みがあり、素地にガラス質を含み、少し吸水性があります。
手触りはザラザラしていたりボコボコしていたりするものが多いですが、口当たりは優しいです。
指で少しはじくと鈍く堅い音がします。

また陶器は高台(こうだい:底の部分)に釉薬がかかっていないので、土の色が見えます。
釉薬は、かかっているものと、かかっていないもの(無釉)があります。

※1 炻器:素地が白色ではなく、堅く焼き締められたやきものの総称。
西欧ではストーンウェアがこれにあたる。

[ 写真:陶器(赤楽)]

磁器

磁器(伊万里)
陶石(白色の硬質の石)・珪石・長石・石灰・カオリンなどを原料とし、高火度で焼成され、「石もの」ともいわれます。
日本では約400年前に佐賀県の有田で始まりました。

特徴は、高台を見るとおおよそ分かりますが、陶石を使用しているため白い色をしています。また、陶器に比べて薄く光にかざすと透けます。厚みは均一で手触りはなめらか、吸水性はほとんどありません。

器は硬いため、指で軽くはじくと「チン」という金属質の冴えた音がします。染付や色絵、青磁や白磁など様々な技法が使われています。

陶器のように釉薬のかけ分けなどの技法をほとんど使わないため、全体的に色が均一でなめらかに表現されています。
高台にも釉薬がかけられているのもあります。

[ 写真:磁器(伊万里)]

日本の骨董やきもの(陶器・磁器)を買取致します

  • 平清水焼

    江戸時代の後期に始まった平清水焼は、1844年、有田焼をお手本にして磁器を作ることに成功しました。染付の名品が多く残されています。磁器から陶器へと転身してからも、地元の陶土を活かし、白化粧を施して呉須で絵付けをし、磁器に似せた器が作られました。磁器にない柔らかみをもつ白い肌を生み出すことが出来ました。

  • 会津本郷焼

    会津本郷焼の陶土・陶石は共に珪酸分(ガラス質)が多く、焼成によって溶けるため、薄い作りでは窯の中で変形してしまいます。そのため会津本郷焼は厚手で飾り気のないしっかりとした形で仕上げられます。

  • 益子焼

    大正末期に進められた民芸運動は、それまで「下手もの」と軽視されていた日用品に美的な価値を見出すものでした。民芸のやきものは、「用の美」を求める作家により、おおらかな美しさと自由な作風で生み出されました。

  • 笠間焼

    関東最古の歴史を持つ窯場であり、現在も伝統にとらわれずに、活気あふれる環境の中、新しいものを積極的に取り入れた作品が製作されています。バラエティ豊かな作品の中でも、どっしりと安定感のある作風の物が多く作られています。笠間焼で使われる笠間粘土は粒子が細かく強い粘性が特徴で、薄くのばすとヒビが入るため、厚手に作らざるを得ないという理由もあります。

  • 越前焼

    赤褐色の地肌と緑色の自然釉のコントラストが生み出す世界。
    越前焼は無釉の焼き締め陶です。地肌の赤褐色は良質で耐火温度の高い白色粘土を1200度以上の還元焔で焼成して生まれます。窯で焼く間に、薪の灰が器に降りかかり、緑色の釉薬となって流れます。

  • 美濃焼

    美濃焼には志野焼、織部焼、黄瀬戸、瀬戸黒の4種類があり、いずれも釉薬による色の表現が豊かです。美濃は現在も日本の陶磁器の大半を生産する大窯業地ですが、一般の人にとって美濃焼は桃山時代の茶陶のイメージが根付いています。日本の新しい文化が多数芽生えたこの時代、茶陶の世界にも革命と言えるほどの変化が起こり、桃山時代の美濃には新しい陶器が次々と生まれました。

  • 常滑焼

    常滑焼は日本六古窯とされる窯場の中で最古の窯です。海上交通の便のよい愛知県知多半島一帯に古窯のあとがあり、一般人をターゲットに価格の安いものを大量生産していたことで、自由で個性的な野趣あふれるユニークな作品が生まれました。常滑焼では1878年から作られたとされる朱泥焼き締めの急須も有名です。

  • 瀬戸焼

    鎌倉時代に瀬戸で中国の陶磁器を手本にして施釉陶器が焼かれるようになり、日本では当時、本格的な施釉陶器を焼く窯が無かったため瀬戸のやきものは輸入品に次ぐ高級品とされていました。このころの瀬戸焼は古瀬戸と呼ばれ、自然釉から生まれた淡い黄緑色の灰釉と、鎌倉時代後期に生まれた濃い褐色の鉄釉という二種類の釉薬が特徴です。瀬戸焼のルーツは愛知県にあった猿投窯から分かれた東山窯にあると言われています。

  • 万古焼

    江戸時代、三重県に開かれた窯です。始まりはエキゾチックなデザイン。更紗(人物や花鳥、動物などがあでやかな色彩で描かれた布)文様を基本として、ライオンやラクダ、像などの珍獣モチーフの絵柄が描かれていいました。以降、デザインや色彩がが次々と変化します。万古焼では無釉で焼き締める「紫泥」急須もよく知られています。

  • 伊賀焼

    中世六古窯にのひとつとされる伊賀焼は、信楽焼と似ていると言われてきましたが、桃山時代以降になると信楽焼と異なった作風で作られるようになりました。高温で何度も焼く「伊賀の七度焼き」によって黒い焦げや長石の粒が器の表面に現われ、重厚感と茶陶に相応しい侘びの雰囲気を持つやきものになります。

  • 信楽焼

    信楽の里には豊富な陶土があり、「木節粘土」(黒色粘土)と「蛙目粘土」(白色粘土)があります。このふたつの粘土を水簸(すいひ)というさぎょうを経ずにそのまま成形して無釉で焼き締めると、地肌は渋い緋色(ひいろ)となって、粘土に含まれている長石などの粒が器の表面にぶつぶつと吹き出します。そぼくで侘びた風情は桃山時代の茶人たちに愛され、広く知られるようになりました。

  • 京焼・楽焼

    京焼と言えば華やかな色絵が印象的です。有田や九谷の色絵磁器との違いは、陶器に絵付けをしているため、土本来が持つ色や質感が現れます。京焼の鮮やかさは、陶器の地肌に釉薬で化粧がけをして白いキャンバスのようにし、その上に繊細な色絵をほどこすことで表現されます。一方、楽茶碗には装飾性が無く、器面は黒楽、赤楽、白楽と呼ばれるモノトーンで、絵付けが施されません。

  • 丹波焼

    日本六古窯のひとつ、丹波焼の中でも注目を集めるのが「大壺」です。焼締めた器面にたっぷりと降りかかった六古窯一美しいと言われる自然釉の景色は圧巻。穴窯で焼かれた中世の丹波焼の陶土は粘りがあり、鉄分を多く含んでいます。高温の火によって堅く焼き締まり、深い赤褐色になります。そこへ、明るい自然釉の緑がかかると、力強さと親しみやすさを兼ねた独特の味わいに仕上がります。

  • 備前焼

    備前焼は平安時代に作られた須恵器がルーツです。釉薬をかけずに酸化焔焼成によって堅く焼き締められた赤みの強い土の味わいや、窯の中で偶然に生み出される風合いは、飾り気がなくとも存在感がある、日本人の美の原点ともいわれています。土に含まれる鉄分が備前焼の茶褐色の地肌を生み出しています。

  • 萩焼

    茶陶を中心に発展した萩焼。土の性質により、約1200度という低い温度でじっくりと時間をかけて焼かれます。焼締まりが弱いため貫入というひび割れが釉薬の表面を覆い、使っているうちに茶の成分が染み込んで肌合いが変化してきます。これを茶慣れと言い、表情が変わるその様子「萩の七化け」として味わい深い変化が親しまれています。

  • 砥部焼

    手作り手書きの抽象模様が好まれ、フアンも多い砥部焼。呉須の藍で描く染付が多く、あたたかみがある地肌や厚手の風合いにぴったりです。また、あでやかな色絵が施され、器面を緻密な模様で埋め尽くしたものもあります。地肌はややにごりのあるグレーがかった白であることも特徴です。

  • 大谷焼

    阿波(徳島県)の特産品・藍染の原料となる藍の保存容器として、大甕を生産したのが始まりです。巨大な甕は大谷焼独自の「寝ろくろ」を使いふたりで作ります。藍染が衰退するのにつれて大谷焼も日用陶器へと転換しましたが、現在でもこのダイナミックな大甕は制作されています。

  • 小鹿田焼

    小鹿田焼の特徴はその装飾技法にあります。周囲の山から採れる粘土を水簸して出来上がった陶土はきめが細かく、粘り強いものになります。火度が低く、鉄分を多く含むため焼き上がりは黒っぽくなります。この素地に、かんなで細かな刻み模様をつけたり、刷毛とろくろで連続模様をつけるなど様々な装飾がほどこされます。渋く落ち着いた色合いのものが多くつくられています。

  • 唐津焼

    粒子の粗い土の味わいをそのまま感じられる唐津焼。土の味わいを活かすため、山から掘り出した土はほとんど手を加えずに使われます。釉薬が生み出す独特の光沢がいっそう土味を引き立てます。朝鮮陶工による技術革新が基礎となり、唐津焼には実に多くの装飾模様があります。茶陶としても珍重され、千利休や古田織部など一流の茶人にも好まれていました。

  • 有田焼

    白い素地に赤、藍で描かれた鮮やかな絵付けが特徴の有田焼は、江戸時代初期にオランダ東インド会社から注文を受け、輸出用商品として中国の磁器や絵手本の真似をしたことから発展しました。時代と共に進化し、水墨画のような味わいを持つ染付け、色鮮やかな柿右衛門様式、金襴手などが完成します。それまで華やかな色絵が無かった日本のやきものにとって、革命的な進化となりました。

  • 薩摩焼

    文禄・慶長の役で藩主・島津義弘が、約80人の陶工を朝鮮から連れ帰ったことから始まりました。ところが嵐により三か所に流れ着いた陶工はそれぞれの場所で窯を築いたため、苗代川系、龍門司系、竪野系と3つの系統に分かれました。

  • 壷屋焼

    沖縄で焼かれる壷屋焼きは、沖縄地方の動物や鳥、魚などをモチーフにしたものが多く、のびやかで勢いのある模様や技法を感じさせます。エキゾチックな色彩と絵模様は活き活きとした躍動感に溢れ、自然のエネルギーに満ちています。今日では沖縄のマスコットといえるシーサーなどは沖縄古来の風習や信仰によってつくられるようになったものです。

海外のアンティーク商品・やきもの(陶器・磁器)を買取致します

  • WEDGWOOD(ウェッジウッド)

    1759年に英国最大の窯業地、ストーク・オン・トレントのバーズレムにジョサイア・ウェッジウッドが開いた窯が始まりです。柔和な発色の地肌に牧歌的な文様が描かれたおだやかな器が、シャーロット王妃の注文を受けたことから「クイーンズ ウェア(女王の陶器)」と呼ばれるようになり、ウェッジウッドの名前が世に知られる切っ掛けとなりました。

  • LIMOGES(ロワイヤル・ド・リーモジュ)

    リモージュはセーブルと並ぶ歴史を誇るフランス磁器の生産地です。この地域は18世紀半ばまでヨーロッパの七宝工芸の中心として栄えていましたが、1768年、近くで質の高いカオリン(磁土)が発見され、リモージュではこれまでと違う、堅く透明感のある硬質磁器が焼かれるようになりました。リモージュで最も古い歴史を持つのが、1778年に「王位」となる名誉を受けたロワイヤル・ド・リーモジュです。

  • RICHARD GINORI(リチャード ジノリ)

    1735年にカルロ・ジノリ侯爵がフィレンツェ郊外のドッチアに磁器工房を開設したのがリチャード・ジノリの始まりです。1896年にミラノのリチャード社と合併するまではドッチア窯と呼ばれ、イタリアで初めて磁器を作った由緒ある窯です。白い肌は時代を追うごとに磨かれ、その美しさから「トスカーナの白い肌」と称賛されて愛され続けています。

  • ROYAL COPENHAGEN(ロイヤル コペンハーゲン)

    フランツ・ヘンリック・ミュラーが開いたこのコペンハーゲン窯は、1775年に国王クリスチャン七世と皇太后ジュリアン・マリーの保護を受け、4年後には王室所有になりました。1868年に民間の手に移ったものの、王室御用達ファクトリーとして伝統を誇っています。「ブルーフル―テッド」シリーズは手作業による美しく精密な絵付けによる可憐な作品です。

  • ARABIA(アラビア)

    森のグリーン、湖のブルーなど、フィンランドの自然を色調のベースにしているというアラビアは北欧最大の窯です。「食器は実用的でなければならず、狭い収納場所でも積み重ねられねばならず、何よりも丈夫でなければならない」というのがアラビアのデザインポリシーです。

  • CHINA(チャイナ)

    中国の陶磁器の歴史はおおよそ8000年前とされる新石器時代の「彩陶」に遡ります。2世紀ごろには本格的な青磁が、6世紀頃には白磁が、7世紀には唐三彩が登場しています。10世紀になると、中国全土に陶磁窯が築かれ、越州窯、磁州窯、龍泉窯、景徳鎮窯といった大規模な窯で、日用品や輸出向け製品が生産されました。12世紀頃、磁州窯では五彩の技法が発明されました。また、明代清代には景徳鎮窯で青花や粉彩、金彩、豆彩など絵付けの技法が登場しました。

  • KOREA(朝鮮)

    朝鮮の磁器は中国から伝わり、代表と言えるのが9~10世紀頃に作られた「高麗青磁」です。翡翠の色に例えられる青緑色「翡色」やシンメトリーの形のものが多く、本来の中国青磁とはまた違う世界を生み出しています。また、李朝、粉青沙器、白磁なども朝鮮で独特の進化を遂げました。高麗茶碗は日本の茶人にも珍重されました。

  • THAILAND / VIETNAM(タイ / ベトナム)

    タイのやきものでは「宋胡録(すんころく)」が有名ですが、その名前は14世紀ごろからタイのスワンカローク地区で作られたことに由来しています。白泥がかけられ、鉄絵で魚や草花の模様が描かれた器は中国・元の青花磁器の影響が見られます。
    ベトナムのやきものは「安南焼」と呼ばれ、桃山時代には茶陶として使われるなど、日本でも古くから親しまれてきました。中国の影響を受けつつも、13世紀ごろから独自の作風のやきものも誕生しています。

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