マイセン
栄匠堂ではマイセンを買取致します。
マイセンの製品は皿、人形などの置物、花入などに人気があり、お品物の状態が良いもの、証明書が付いているものなどが高価で買い取れる評価のポイントとなります。
箱がある方が望ましく、共箱のもの、また紙箱よりは商品を守れるしっかりした箱などに入っているお品物に良いお値段が付きやすくなります。
骨董品としての価値
骨董品として見た場合、マイセンは1725~1763年ごろのものの価値が特に高くなっています。さらに「マイセンの黄金期」といわれる1824~1924年の製品や、1924~1934年の「ファイファー期(当時の工場長の名前)」に作られた単品物は芸術性が高く、高く取引される傾向にあります。
「マイセンの黄金期」の中でもマイセン200周年にあたる1910年6月6日から1年間限定で製作された1710と1910の数字が印された製品は希少価値が高くなっています。
マイセンは時代の物だけでなく、近代、現代の製品もコレクターに取引されているため、売却をお考えの方はぜひ栄匠堂にご相談ください。
マイセンについて
マイセンは18世紀に誕生し、ヨーロッパで初めて硬質磁器の生産に成功したドイツの名窯です。
マイセン誕生の背景
中国では白磁や青磁が6世紀ごろから作られ始めましたが、当時のヨーロッパでは白くて薄い硬質磁器を作り出すことができませんでした。17世紀ごろまでヨーロッパでは中国の磁器や日本の伊万里など、輸入された磁器は、王侯貴族の間で珍重されていたため、ヨーロッパ各国もこの磁器研究に取り込み始めていました。
熱狂的な収集家であった強王フリードリヒ・アウグストは、若い錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベットガーに磁器の製造を研究させました。またベトガーの監督官として自然科学者のチルンハウス伯爵が様々な知識を与えながら磁器開発を行いました。
マイセン誕生
1709年には白磁製法を解明。 翌1710年、アウグスト強王は、この開発の漏洩対策としてザクセン選帝侯の御膝元として栄えていたドイツ・ドレスデン地方のマイセンの町にあるアルブレヒト城を磁器工房として設立しました。(現在は城の麓に移転) ここに「国立マイセン磁器製作所」の前身である「王立ザクセン磁器工場」が、ヨーロッパで初めての硬質磁器窯として誕生しました。また、1717年には染付磁器の製造に成功します。
マイセンの窯印
やがてアウグスト強王の双剣の紋章をマイセンの窯印として使用することが許されるようなります。(写真参照)
マイセンといえば、二本の剣が交差するこの「窯印」が有名ですが、マイセン窯ができた当初、磁器の製造はマイセンに独占権があり、他の窯では磁器が作られていなかったため、マイセンの作品に窯印はつけられていませんでした。
磁器の製造方法や技術が少しずつ流出し、他の窯がマイセンに似せた磁器を製造するようになると、マイセンの窯で製作した物であることを証明する印として1720年ごろから「窯印」がつけられるようになりました。このころの窯印は現在のものとは違い、中国の窯印をまねた「鞭」のようなデザインや、アウグスト強王のシンボル「AR」など、何種類かの印がつけられています。
1723年には、交差する剣の印と共に「王立マイセン磁器製作所」の略である「K.P.M.」「M.P.M.」という文字が入れられ、 1725年からは現在使われている交差する剣の印となりました。 この窯印は時代によって剣の形などが変化しており、また、現在も手描きで描かれ二つとして同じものがない為、制作年代の判断基準ともなっています。
マイセンの東洋的デザイン
東洋の磁器に対する羨望から生まれたマイセンの磁器は、ヨーロッパの磁器でありながら東洋的な絵付けが多く見られます。初期の作品には、中国磁器に使用されていた龍の図案を写した「ドラゴン」がデザインされています。
マイセンの日本的デザイン
さらに、アウグスト強王は、柿右衛門様の色絵磁器のような作風も好んでいたとされ、柿右衛門の写しも製作させていました。
マイセンの発展
時代が進むと、東洋のエッセンスを含んだオリジナルデザインとして「シノワズリ」「インドの花」「ドイツの花」などが描かれるようになりました。中でも中国の染付技法である呉須を参考にした絵付けが製作され、「ブルー・オニオン」の文様は名作として知られています。
重厚性のあるバロック調を好んだアウグスト強王でしたが、彼の死後、小物にも製作の幅を広げていき、ロココ調の優美な作品を生み出しました。マイセン人形はこの時期製作されてます。
一時は戦争の影響で衰退期を迎えたものの、復興へ向け芸術・技術ともに高品質な作品を多く手掛けていきました。 マイセンは絵付師や彫刻家などアーティストを採用していき、その創造性豊かな作品は現代まで受け継がれています。