オールドノリタケ(ノリタケカンパニー・日本陶器)
栄匠堂ではオールドノリタケを買取致します。
オールドノリタケは花入、ティーカップ・ソーサー、皿などに人気があります。
金彩や盛上げが施されている装飾的なもの、風景や植物が描かれた絵画的なものも取り扱っています。
オールドノリタケ(ノリタケカンパニー・日本陶器)
査定のポイント
お品物の状態のいいものが好ましく、箱に入っているものも評価のポイントになります。
オールドノリタケは印の種類が多種に渡りますので、確認が困難な場合は申し付けいただければこちらで確認致します。
オールドノリタケ(ノリタケカンパニー・日本陶器)について
オールドノリタケは愛知県名古屋市西区則武にあるノリタケカンパニーで生産されていた洋食器です。
「ノリタケ」という名前は創業地の地名から由来された名称です。
現在はノリタケカンパニーリミテドと言い、以前は日本陶器合名会社と言いました。
オールドノリタケについて
ノリタケは明治初期、6代目森村市左衛門と弟の豊(とよ)の活動から始まります。
森村市左衛門は貿易業を初め、日本で「森村組」を、アメリカ・ニューヨークで「モリムラブラザーズ」を創業し、市左衛門が買い付けた日本の工芸品や陶磁器を豊のいるアメリカで販売するという海外貿易を開始しました。
やがて森村組は陶磁器生産の将来性の確信を持つようになり、ヨーロッパ陶磁器の美しさに魅了したことから日本でも作りたいと考えるようになります。
そして日本で西洋の陶磁器生産を行うことにし、瀬戸の陶工たちにより西洋陶磁器を焼成していきました。
1904年、森村組は愛知県の則武に日本陶器合名会社(ノリタケカンパニーの前身)を創立し、日本陶器は製造、絵付けを鈞窯組、輸出を森村組というように3社で運営するようになりました。
その主要メンバーには市左衛門の義弟で現・大倉陶園の創始者である大倉孫兵衛や東洋陶器初代社長の大倉和親もいました。
本場の西洋陶磁器に近づけるよう試行錯誤を繰り返しましたが、日本陶器創立から約10年後、日本初のディナーセットを完成、アメリカで大盛況になり「ノリタケチャイナ」の名で親しまれるブランドになっていきました。
このように海外の輸出をしていた日本陶器ですが、国内販売にも着手することになります。 日本では各地で博覧会などに出品し、ノリタケブランドが徐々に確立していきました。 その試みは宮内省をはじめ財界などにも納品するようになり、日本でも活躍の場を広げていくことになりました。
その後、第二次世界大戦が勃発しモリムラブラザーズは閉店、日本陶器の磁器製造も中止となり、オールドノリタケの歴史も終わります。
しかし戦後も活動は続き、現在はセラミックスに関わる技術を研究し、製造を続けています。
オールドノリタケの作風
ノリタケの製品はその時代の美術様式の変動により作風が変化しているのも特徴的です。
当時流行していたアール・ヌーヴォーでは曲線的で植物のモティーフなど色彩の面でも影響を受けていることがわかり、アール・デコ期にもデザイン的にその傾向が伺えます。
初期の作品では花入やボンボン入れでしたが、コーヒーカップや砂糖入れなども作るようになり、種類が増えていきました。
また第一次世界大戦まではファンシーウェアと呼ばれる高級品ばかりで凝ったデザインが多かったのが、大量生産時代になるとシンプル化するなど時代の変化に適用した製品作りが見られます(ディナーセットなど)
オールドノリタケの印
オールドノリタケの印は様々あります。
マルキ印や森村組の頭文字を取ったM印、ヤジロベー印、日本陶器の印など、印により年代の目安にもなります。
また海外輸出向けや日本向けによっても印が異なります。
マルキ印