陶磁器

染付の歴史と特徴・見分け方(骨董品査定)

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中国で始まった染付

染付染付磁器は中国・元王朝末期に景徳鎮で完成され、以来、染付は陶磁器の主流となっていました。
染付の特徴である白と藍色のコントラストはペルシャや唐代の陶器にもありますが、繊細で白玉のような美しい磁器と清らかに澄んだコバルトが染付を陶磁の主流としたと言っても過言ではありません。
元代末(至正:元の順帝(恵宗)トゴン・テムルの治世で用いられた元号)の頃に生まれた染付磁器が、威厳と様式美をもって短期間に完成されたことは驚きに値します。生き生きとした爽やかさと、表現力ゆたかな新手法、新製品は人々の憧れをカタチにしたものでした。
景徳鎮で完成された染付は様式を少しずつ変化させ、明代には、力強い永楽、端正な宣徳、高貴な成化、官能的な嘉靖、万歴(いずれも皇帝)時代を藍色に染めました。動乱の王朝交替時期には、官から出て民窯化した景徳鎮は、自由奔放な天啓や祟禎(元号)の古染付の花を咲かせました。清代には、乾隆(皇帝)に繊細で高度な技術を見せ、極限を究めましたが、以降、各種色釉や粉彩などが広く用いられ、染付は主流ではなくなりました。

朝鮮半島、その他アジアの染付

朝鮮半島では李朝初期に中国から硬質白磁の技法が伝わった頃、明代初の景徳鎮磁器をそのまま写した染付が焼かれました。描き込みが多いのが特徴です。その後一旦途絶え、秀吉の朝鮮出兵の後、17世紀前半に復興した広州官窯で、初期の様相とは全く違った余白が多い草花文(秋草手)が焼かれ、染付全盛期となりました。

ベトナムでは15世紀頃からやや軟質の染付磁器が作られ、日本の茶人にも安南ものとして親しまれました。隣国のタイでは中世に青磁、鉄絵など多彩な陶技を誇りましたが、染付磁器は生産されませんでした。

日本では江戸初期に佐賀県有田で朝鮮半島から渡来した李参平によって磁器が創製されましたが、染付は李朝風のものはほとんどなく、中国の明代末頃の磁器の影響を強く受けています。後に西ヨーロッパへの大量輸出、国内需要により生産は拡大し、染付技法も各地へ伝わりました。ほとんどが民間で使われるものでしたが、藩の御用窯もいくつか見られました。

染付の色

染付の青は実に様々な色合いを見せ、薄い「水色」と呼べるものから「紺色」や黒に近い色まであります。
染付の青はコバルトによって発色させた、大変強力な発色剤で、原料には二種類ありました。

一つは「スマルト」。中国で蘇麻離青と呼ばれており、酸化コバルトを4~6%溶かしこんだ濃紺色のガラスです。
もう一つは呉須と呼ばれている天然の「コバルト混合土」です。天然のコバルト鉱が風化して水に溶けて沈殿し、鉄、マンガン、ニッケルなどの化合物が自然に合わさり、どす黒い泥土になったものです。
19世紀にはこれらの他、人造の純粋原料から造られた人造呉須(化学コバルト)も使われるようになりました。
染付の色の発色は、おおむね三つに左右されます。

【1】コバルトの顔料に含まれる不純物
【2】素地と釉に含まれる他の成分
【3】窯の温度と酸化・還元状態

コバルトの純度が高く、素地にマグネシウムや珪酸が少なく、釉も透明で、高温の還元炎で焼かれた場合には鮮やかな藍色に発色します。

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染付の発色と鑑定

染付 コバルトの顔料は主に先の原因によって微妙に変色を見せるため、同じ窯で同じ顔料を使って焼いても、発色の異なったものが出来上がりますが、陶工は永年の経験から、焼成に神経を配る重要性を知っており、思わぬ発色になることはそれほど多くはありません。

そのため染付は、作られた時代や窯の相違により、それぞれ特徴的な独自の発色をもっています。その特徴を知ることが、鑑定上の重要な基準となります。
乾隆年間(1736~1795年)に書かれた朱琰(清朝の陶器書)の「陶説」に、明初の染付について「これ明窯旺盛の時なり。選料、製様、楽器、題款、精ならざるはなし。」と書かれ、これは、明初の染付に(中国では)最大級の讃辞を与えています。特に宣徳年間(1426~1435年)の染付は中国だけでなく日本でも染付の王として最高の地位を誇ってきました。さらに、以前は明らかではなかった元代の染付の優品が数多く確認され、元代の染付に対する評価も高まっています。

宣徳染付の特色は、色を施す際に濃淡が強く出され、文様に強いコントラストがつけられています。あざやかな色調ではなく、落ちつきのある渋味があります。
元代の染付は宣徳のものと比べると絵付がおおらかで、器一杯にあふれ出そうな描きかたです。コバルトの色はやや黒味を帯びて、宣徳や永楽の染付のようなにじみも少ないのが特徴です。

宣徳に続く成化時代は、コバルト色は薄くなり、上品で優雅な印象を与えます。大作と言われるものはほとんどが小品です。弘治~正徳年間には灰藍色から藍色となり、これといった個性はみられません。
嘉靖~万暦年間は、スマルトが豊富に使われ、色も濃厚な紫藍色となって派手な印象ですが、大量生産が行われたこともあり、品質が低下したと一般的には言われています。

明代末~清代初期の古染付はテーマも器の形も自由で、染付の色に土青を使われていたため黒ずんでいます。後に日本の茶人などの注文によって造られた祥瑞手(しょんずいで)は、その染付が鮮やかな 藍紫色(らんししょく – 紫色)をしていますが、平塗りの部分には塗りむらが目立ちます。
清の染付は、康煕年間の冴えたきめ細かい藍色、雍正年間のややくすんだ藍色、乾隆年間の濃淡明暗を使いわけた技巧的で繊細な特徴がみられます。

安南染付(ベトナム)は灰白色の粗い素地に、黒青色の品質の悪い呉須で、明代初期の絵付を施し、乳白を帯びた釉を厚がけしています。その後のものは呉須が流れて文様がぼやけたものが多くなりました。
李朝染付はほとんどが暗い薄い青色で、優しい描写が施されています。

初期の伊万里(寛文の頃以前)では、中国や朝鮮の技法をそのまま模したため、日本の磁石には向かない生掛け焼成であり、呉須の発色はくすんだり黒ずんだものがつくられていましたが、かえって趣のあるものとされています。以降の古伊万里からは、日本独特の素焼き焼成法が考案され、呉須の発色が鮮やかになりました。藍九谷は生掛けで深味のある藍色をしています。
鍋島などの御用窯の多くでは、澄んだ発色のものが多数生産され、民窯では地呉須などの雑多なものが用いられ、一般的に暗藍色です。
合成呉須を使ったものは強い発色で、調子が無く平板であることから、見分けも簡単と言われています。

染付の土

一般の人は染付の「絵付け」を見がちで、文様の味わいやコバルトの発色にのみ注目しますが、専門家(研究家や作陶家)は「土」を重視します。呉須は焼いてみないと分かりませんが、本体(磁器)の原料となる陶石の産地は数少なく、それぞれに強い個性をもつためです。

中国と日本のものでは素地が全く違います。中国では原料の陶石が大変豊富で質も良く、粘土質で、耐火度の高いカオリン分子を含んでいるため、高い火度で焼いてもへたることがありません。ロクロもひきやすく、大変薄い成形でもゆがまずに焼けます。中国では総て生掛け焼成であり、陶石の質が違う日本のように、素焼きした上に絵付施釉する二度焼きの必要がありません。
中国ものの官窯と民窯の区別は、器形や文様のほか釉切れの線で見分けるケースが多いですが、土にも違いがあります。民窯の古染付や祥瑞(しょんずい:染付磁器の一種)では厚手のやわらかい胎土が使われていて、それが魅力の一つとなっていますが、日本の土であのような味を出すことは難しいと言われています。

汚れが落ちやすい伊万里の染付

日本の染付の場合も、専門家は「土」を見ます。有田のものと他の地方の土には大きな違いがあり、日本では伊万里が最高の品質とされ、評価の高い染付はほとんどが伊万里産です。そのため、一般的にはまず、伊万里かそうでないかを土で見分けます。有田産(伊万里)の土は粒子が細かく色が白いです。また、伊万里は釉のかかっていない素地の部分の汚れがつきにくく、付いた汚れも落しやすい特徴があります。反対に、地方焼の土は汚れが粒子の中まで浸透して落しにくいです。

有田焼の胎土は、泉山の鉱床から採った。有田の磁祖といわれる帰化朝鮮人・李参平が元和年間に発見したもので、後に天草石が使われ始めるまでは、ほぼ唯一の磁器原料生産地であった。泉山石の特徴は、単味で、つまりこの石だけで磁器が焼けることで、これは世界でも珍しいものとされている。諸説があるが江戸初期では、伊万里・鍋島・柿右衛門の有田磁器は泉山の石だけが使われた。後には天草石も使われるようになる。天草石が、可塑性に富んで成形しやすい反面、焼き上ったものの見た感じがやわらかく、力感に乏しいのに比べ、泉山石は、ねばりがないため薄手のものは出来ず、耐火度が低くへたりやすいが、焼き上ったものの見た感じは堅く、力感に富み、肌触りも強い。元禄以前までは生掛けであるので、生掛けかどうかと、この泉山石の単味かどうかは新古の判定の手がかりになる。天草石も単味で磁器焼成が可能で、現在でも盛んに各地の陶業地に供給されている。

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染付の模造・贋作

染付も例に漏れず、人気のあるものの贋作が作られてきました。中国ものの写し(似せ物)を倣造品や倣製品と言い、磁器製造の技術がピークだった清代には、古窯の倣造品が盛んに作られました。
当時は贋作を作るという意識はなく、先人の高い技術を再現することを目的とされていました。特に明代の倣造品は優れ、成化、嘉靖、万暦ものは大変巧妙で、真贋を見極めるのは難しいと言われています。

中国では染付の最高位といわれる宣徳ものも多量に倣造されましたが、見分けは彩(ダミ)のむらにあるといわれています。清代には窯の造りや原料の品質が大変良く、宣徳染付の魅力の一つである濃淡のむらが自然には出せなくなり、倣造品では機械的に細かい点を打って似せ作られています。
中国染付の倣造品はペルシャでも15世紀頃から盛んに作られました。後に企業家されて大量に欧州へ輸出されています。実際は磁器ではなく陶器だったため、特有の堅さや澄んだ透明感が見られません。日本でも明末代の祥瑞手や古染付の写しが流行りました。

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