久田宗全(ひさだ そうぜん)
1647年(正保4年)-1707年6月5日(宝永4年5月6日)(享年61歳)
父・久田宗利(本間利兵衛)、母・クレ(千宗旦の娘)の間に生まれ、久田家3代目となった江戸期前期の茶人(通称・雛屋勘兵衛)です。
号は徳誉斎、半床庵。屋号は雛屋。
庵号(一定以上の茶人に与えられる称号)の茶席半床庵は、四畳中板(※1)の席で中柱をたてる形式で、点前座(てまえざ-亭主が茶を点てるために座る場)と客座の間に入れられた中板を天の川にみたて「天の川の席」ともいわれます。
※1)二畳中板の茶室であったという説もあり
宗全は茶道具にも工夫をこらし、置花入として手付きの籠花入をデザインした「宗全籠」は有名で、現在も多用されています。
赤茶碗 銘「かき餅」など茶碗や花入れなどの茶道具の手作りを得意とし、好みものの道具も多く、現存するものもいくつかあります。
宗全の息子が千宗左(5代)の養子(表千家六代6代・覚々斎)です。
弟に表千家五代の随流斎がおり、長男が覚々斎として表千家六代を継いでいます。
久田宗全の活躍
久田家の庵号「半床庵」は宗全が名乗りまりました。現在の半床庵(高倉久田家)は明治19年に再建されたもので、最初の半床庵の形などは分かっていません。
3代目・宗全のときに本格的に茶家としての活動が盛んになり、特に茶道具では多くの実績があります。
有名な宗全籠は底が長方形で丸い口に向かって編み上げられた竹製の置籠花入で、大変美しいことで人気があります。竹を使った手工を得意とする宗全の作品には、他にも「蝉籠花入」「巻上壷形手付籠」などがあります。また、茶碗でも優れた作品を残し、赤筒茶碗 銘「独り子」、赤茶碗 銘「かき餅」といった名品が現在に残されています。
宗全は千家とのかかわりも深く、久田家で千家十職に好を作らせました。主に楽家(楽焼の創始者である長次郎に始まる家系)で茶碗、香合を好んでいたようです。
宗全の手造、好は、華やかで侘びを大切にした柔らかい印象を与えてくれます。
茶の湯は外祖父である宗旦に学んだとされ、侘び茶の精神を表した宗旦の精神を継いでいます。
久田宗全の作品
茶席半床庵「天の川の席」
籠花入「宗全籠」「蝉籠花入」「巻上壷形手付籠」
赤筒茶碗 銘「独り子」・赤茶碗 銘「かき餅」
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