マイセンの誕生
中国では6世紀ごろから白磁や青磁が作られ始めたといわれており、今でこそ世界中の人に親しまれている磁器ですが、長い間西洋では磁器の製造ができず、中国から輸入された磁器が金銀宝石に匹敵する価値があるものとして王侯貴族の間で珍重されていました。
特に熱狂的な収集家であった強王フリードリヒ・アウグストは、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベットガーに磁器の製造を研究させ、1709年、ついに白磁製法を解明しました。翌年の1710年にはドイツのドレスデンに、ヨーロッパで初めての硬質磁器窯として、「国立マイセン磁器製作所」の前身となる「王立ザクセン磁器工場」が誕生しました。
ヨーロッパの磁器といえば「ロイヤルコペンハーゲン」や「ウェッジウッド」などのブランドが存在しますが、ヨーロッパで最初に白磁を作り出す事に成功したマイセンの人気も大変高く、現在でも多くの収集家に大切にされています。
マイセンの窯印
マイセンの「窯印」は二本の剣が交差しています。
マイセン窯ができた当初、磁器の製造はマイセンが独占権を持っており、他の窯では磁器が作られていなかったため、マイセンの磁器に窯印はつけられていませんでした。
磁器の製造方法や技術が少しずつ流出し、他の窯がマイセンに似た磁器を製造するようになると、1720年ごろからマイセン独自の品であることを証明するために「窯印」がつけられるようになりました。1720年ごろの窯印は現在のものとは違い、中国の窯印をまねた「鞭」のようなデザインや、アウグスト強王のシンボルであった「AR」といった、さまざまな印がつけられています。
1723年には現在の窯印でも見られる交差する剣の印が「王立マイセン磁器製作所」の略である「K.P.M.」「M.P.M.」という文字と一緒に描かれるようになり、1725年からは現在使われている交差する剣の印となりましたが、時代によってこの窯印の剣の形もが変化しており、製作年代を判断する情報のひとつにもなっています。
マイセンのデザイン
マイセンはヨーロッパで誕生したにもかかわらず、美しい東洋の磁器に対する憧れから生まれた背景から、東洋的な絵付けがされているものが多く残されています。初期の作品には日本の「柿右衛門」の図案を写したものや、中国磁器に使用されていた龍の図案を写した「ドラゴン」が見られます。
さらに時代が下ると、東洋のエッセンスを含んだオリジナルデザインとして「シノワズリ」「ブルーオニオン」「インドの花」「ドイツの花」などが描かれるようになりました。
マイセンは洋食器で有名ですが、磁器人形も作られています。
マイセンの骨董的価値
マイセンは1725~1763年ごろに製造されたものが骨董的価値としては評価されやすい傾向にあります。
他にも、「マイセンの黄金期」と評された1824~1924年の製品や、当時の工場長の名前から「ファイファー期」と呼ばれる1924~1934年に作られた単品物は芸術性が高いとされ、収集家の中でも人気があります。
「マイセンの黄金期」のなかでもマイセン200周年にあたる1910年6月6日から1年間のみ作られた1710と1910の数字が印された製品は希少価値が高くなっています。
古い時代のマイセン食器、磁器人形の買取店をお探しの方は、ぜひ栄匠堂へご相談ください。