伊勢型紙「突彫(つきぼり)」
南部芳松(なんぶ よしまつ)
■ 1894(明治27)年9月20日~1976(昭和51)年11月5日
父に伊勢型紙彫刻の突き彫りを学び、1909年に山梨県谷村で甲斐絹(かいき)型を、1911年から東京の小林勇蔵に中形彫刻を学びました。1913年に独立し、1955年に「伊勢型紙突彫」の保持者として人間国宝に認定されました。
伊勢型紙「錐彫(きりぼり)」
六谷梅軒(初代)(ろくたに ばいけん)
■ 1907(明治40)年2月15日~1973(昭和48)年4月26日
父と兄に伊勢型紙錐彫の技術を学び、1939年に独立しました。鮫小紋、通し小紋などの細密な紋様を得意とし、1942年に小宮康助のすすめにより、さらに細密な極鮫小紋(ごくさめこもん)を研究しました。1955年に人間国宝に認定されました。
伊勢型紙「道具彫(どうぐぼり)」
中島秀吉(なかじま ひできち)
■ 1883(明治16月)年9月4日~1968(昭和43)年2月2日
豊田喜蔵に型彫りを学び、1908年ごろ大阪の田村駒商店、伊藤万商店で勤めた後、1916年に郷里の三重県鈴鹿で独立しました。1955年に伊勢型紙道具彫の保持者として人間国宝に認定されました。
中村勇二郎(なかむら ゆうじろう)
■ 1902(明治35)年9月20日~1985(昭和60)年10月20日
父・兼松に学び、1954年に郷里の三重県白子町伊勢型紙彫刻組合長となりました。1955年に伊勢型紙道具彫で人間国宝に認定され、1963年から後継者養成のための講師を務めました。
伊勢型紙「縞彫(しまぼり)」
児玉博()
■ 1909(明治42)年10月13日~1992(平成4)年1月1日
型彫師の父・房吉の元で修業し、15歳で父と死別し、1925年に上京して伊藤宗三郎に従事しました。さらに浅草で型紙彫刻に従事して1942年に帰郷し、伊勢型紙縞彫小紋の研究を行いました。1955年に他5名と共に人間国宝に認定されました。一寸幅の型紙に31本もの縞模様を彫る「無塵縞(むじんしま)」に成功し、主な作品に「縞彫 二三筋」などがあります。
伊勢型紙「糸入れ(いといれ)」
城ノ口みゑ(じょうのぐち みえ)
■ 1917(大正6年)年1月2日~2003(平成15)年1月16日
母に学び、伊勢型紙を補強する糸入れの技法を習得し、1955年に人間国宝に認定されました。三重県鈴鹿市がおこなう伊勢型紙伝承者養成事業の講師として、糸入れ技法の保存と振興に努めました。