中世の古窯の中でも随一の規模!愛知県を代表する2大窯跡
常滑(とこなめ)窯
常滑の古窯跡は愛知県の知多半島全域に群をなして分布しており、中世の古窯のなかでは随一の規模でした。現在までに確認された古窯跡の数は千以上あり、まだ発見されていない窯を含めると三千基以上あると推測されています。平安末期から室町時代まで、おびただしい量の山茶碗(丘陵地の斜面など山の中で採取されることに由来する名称)と壷類が生産されました。山茶碗窯の多いのは半島北部、壷の窯の多いのは半島中部と、地域によって主たる生産品が異なっています。山茶碗窯では、藤治池古窯群、壷窯としては福住古窯群、ユズリハ池古窯群などが代表的です。
室町中期以降、半島全域にあった穴窯は徐々に衰退し、窯業地は海運流通のよい(現在の)常滑市周辺のみとなりました。窯も大窯に変わりながら明治時代に至っています。
常滑窯は、奈良・平安時代の代表的な古窯である猿投窯(さなげよう)の影響を受け、十二世紀初頭にの開窯されたと言われています。
常滑陶は、室町末期に水野監物(人名:みずのけんもつ)によって茶の世界に登場しましたが、茶陶の世界には馴染めず、信長による禁窯令もあり、以前の勢いはなくなりました。現在は土管の産地として有名です。
渥美(あつみ)窯
渥美の古窯も、常滑・猿投・瀬戸に次ぐ大きな規模で、その古窯跡群は、知多半島と三河湾を挟んで対峙する渥美半島の全域に拡がっていました。半島付け根に位置する豊橋市から、突端の渥美町まで、現在までに400基余りの窯が確認されました。
渥美も猿投窯の影響を受けて12世紀初頭に開窯され、平安末期から鎌倉初期にかけて、海運の流通と、当時渥美半島を領有していた伊勢神宮の支えにより全盛期を迎えました。中央の貴族文化ともつながり、1135~1156年(保延~久寿年間)には、藤原顕長(藤原冬嗣の子孫)が三河国の国守になった際、特別注文品を焼成させたことから、官窯としての性格も持っていました。
渥美の遺品は東北から九州の経塚(きょうづか:経典を土中に埋納した塚)などの宗教遺跡から多く出土しているため、流通圏が広かったと推測されていますが、その多くはこの時期に焼成されました。鎌倉中期以降は山茶碗が量産されましたが、鎌倉末期から室町初期には瀬戸や常滑に押されて完全に衰退し、廃窯となりました。
常滑の特徴
常滑窯は全国の中世古窯の中でも生産を開始したのが早く、その規模も大変大きな窯業地帯でした。常滑の繁栄を支えたのは知多半島で採れる土質です。原料の陶土が豊富で、低火度でも固く焼き締まる特性があり、粗雑な窯で焼成しても焼き損じを減らすことができました。
知多半島は穴窯に最適な厚い珪砂層(けいしゃそう)をもつ丘陵が多いことも、窯場の繁栄を支えた要因のひとつです。一般的に粘土層に掘り抜かれた窯の場合、焼成の際に内壁の収縮が大きく、窯が焼きつぶれることがあります。珪砂層であれば焼かれるごとに膨張して、その度に窯の内壁が固まり、崩壊しにくい窯になります。
知多半島では、厚い層に、丁度良い傾斜をもつ穴窯を無制限に築くことができ、製品の大量生産が可能でした。常滑の、無駄のない力量感に溢れる実用雑器の魅力は、常滑窯のこのような特性からきています。
常滑焼の見どころ
常滑焼特有の装飾や成形には、「三筋」「頸元の凸帯」「押印」「砂底」などがあります。鑑別の際には、器の内面と器底を見ますが、常滑の内面は調整された跡のない荒い肌をしており、器底は砂底です。
尚、信楽は樹木の灰の上で成形するために器底には灰がムラになって付いています。越前焼と丹波焼でも灰の上で成形しますが、その後に器を叩いて余分な灰を落とすため、底には灰が薄く平らに付いています。
渥美の特徴
渥美古窯群で量産された製品は、中世古窯の基本的な生産品であった「壷・甕(かめ)・鉢」の他、山茶碗、山皿、経塚用具、祭祀用具、埋葬用の蔵骨器、香炉、漁具など、焼造された器種が多様です。装飾も無装飾の実用的なものをはじめ、銘文や文様帯のある優美なものもあり、焼成も褐色に焼き締ったものや、燻焼のような黒いものもあります。
渥美焼の全盛期は平安末期から鎌倉初期までの期間でしたが、その短い期間の中でも、多彩で複雑な作品を生産してきました。鎌倉期の初頭には東大寺再建に献進される瓦が焼かれるましたが、その後鎌倉末期とされる渥美古窯群の衰退までは山茶碗、山皿のみが量産され、他の器種の生産は激減しました。
渥美の土は常滑の土に比べて砂気が多く、その分焼き締りが悪いために、一部で焼き方が工夫されています。渥美焼きの燻焼(くんせい)は焼成の最後に窯を密封して燻(いぶ)し、炭素(カーボン)を付着させて器面を固めます。低火度焼成でも実用に耐えるものにするための焼成法です。
(※ 一方では、渥美の燻焼は意図的な焼成法ではなく、この地方特有の窯構造によって、自然に燻焼と同じ効果が現われたにすぎないとする意見もあります。)
渥美製品は、平安末期~鎌倉初期に壷、甕や特殊容器の優品が生産されました。山茶碗には輪花もあり付け高台がついています。鎌倉中期にはなで肩だった壷や甕の肩が張っていかり肩となって全体が角ばっています。山茶碗の口径は小さくなり、高台のないものが増えました。鎌倉末期には山茶碗の口径は更に小さくなり、高台の付いたものは生産されなくなりました。
常滑と渥美の違い
常滑古窯と渥美古窯の製品を比較すると、次のような違いがあります。
・常滑は厚造り、渥美には薄手のものが多い。
・渥美は首がラッパ状に開いたものが多く、口縁部は玉縁のように小さく丸められ、断面は三角形状をしている。
・輪積み成形の壷や甕の内面について、常滑は荒いが、渥美は奇麗に調整されている。
・渥美には施釉されたものが多い。
・渥美の文様は独特の袈裟襷文(けさだすきもん)、蓮弁文(れんべんもん)をもつ。
・渥美の刻文は「上」「大」「万」が多いですが、中には「D」「P」のようなものがあります。
古常滑 飾壷
古常滑 大飾壷
古常滑 飾壷
古常滑 招き猫
古常滑 鶴首花入
常滑 山水図
常滑 皿
常滑 花入
常滑 皿
常滑 花入
常滑 朱泥急須
渥美窯