信楽の始まり。茶陶信楽と茶陶伊賀。
有数の窯業地である滋賀県の信楽町は、琵琶湖の南岸、海抜300mの盆地にあります。開窯から現在まで、一貫して日用の雑器を主体に焼き続けてきました。
信楽の窯業は、奈良時代に聖武天皇が離宮を紫香楽(しがらき:現在の滋賀県甲賀市)に造営したときに始まりました。須恵器(無釉の陶質土器)の技術を持つ百済系の帰化人が、瓦や土管の製造を行っていたと考えられています。
平安時代には、須恵器の技術を継承するロクロの優品を焼いていましたが、平安末期にはこれらの技術が跡絶えてしまいます。
鎌倉期に改めて原始技術から始まり、洗練され、鎌倉末から室町初期にかけて最も信楽らしいと称される、見事な窯変のある逸品の壷が多く焼かれました。
室町末期からは茶陶(茶の湯に用いる陶器)が加わり、桃山期になると、茶陶信楽は茶人達の好みのものが京都でも焼かれるようになりましたが、土は信楽のものが使われていました。
茶陶の初期のものには、「紹鴎信楽」「利休信楽」と称されるものがあり、江戸期には「宗旦信楽」「遠州信楽」「空中信楽」「仁清信楽」「新兵衛信楽」などがあります。
茶陶伊賀は信楽と同系統の土が使用されましたが、作風は異なります。
お庭焼と呼ばれ、趣味のある藩主が城内や邸内に窯を設けて茶器などを焼かせていました。
・「筒井伊賀」筒井定次が1585年に伊賀の国主となった際に焼成させた
・「藤堂伊賀」藤堂高虎時代(1608~1669年)
・「遠州伊賀」小堀遠州指導といわれる
・「再興伊賀」藤堂伊賀廃絶後80年にして再興
信楽
焼き物は「土」「成形技術」「窯」によって、その産地と時代を見分けます。信楽、常滑、備前、丹波などの古窯において、陶土の移出入は無く、土は最も大きな違いがあります。
信楽の土は質が良く、他の古窯の土と比べて、珪石や長石が多く混り、焼き上がりの肌はより荒くなります。未納などと同じで、信楽の土は「蛙目粘土」と「木節粘土」に大別され、両者は焼き上がりも違います。
一般的に、信楽の見所とも言える景色、「灰かぶり」「火色」「こげ」「石はぜ」など、は窯炎が自然に作り出すものです。
「桧垣文(ひがきもん)」と呼ばれる人工の装飾もあり、檜の薄板を網代のように斜めに組んだ垣根を文様化したもので、その幾何学的構成は、帯や小紋の柄に多く用いられてきました。 檜垣に菊唐草を散らしたり、梶(かじ)の葉をあしらったりと、様々に表現されています。
他に窯印や下駄印がありますが装飾とは言えず、また、瀬戸のような印花文や壷の肩に葉型を施文したものがありますが、個数はわずかです。
信楽の焼成は、最近まで原始的な穴窯が用いられていました。文献では、1678年もまだ穴窯が使われていたことが分かっています。他の古窯では既に、登り窯によって大量に焚き上げていた時代です。
窯や技術の進歩と、製品の観賞的美しさとは別のことで、信楽は長い間、原始的な穴窯や、非能率的な紐作りの成形法など、古来からの技術で数多くの名品を生み出してきました。
信楽と伊賀の違い
古琵琶湖層と称される土地(信楽や伊賀の地層)は200万年~150万年前に誕生したとされ、三重県伊賀から滋賀県甲賀にかけても広く分布しており、「伊賀累層」と呼ばれています。信楽と伊賀は同一地層に属しているため、土による両者の区別は困難です。
桃山時代以降、お庭焼の始まる筒井伊賀、藤堂伊賀と信楽は作振りからはっきりと区別がつきますが、それまでの信楽と伊賀は区別がつきにくく、陶片を比較してもほとんど変わりません。
一般的に古伊賀と古信楽(江戸初期まで)の違いは、
・信楽の土は荒く、伊賀の土はきめ細かい。
・信楽の胎土は灰色を帯び、伊賀の土は純白。
・信楽には小石が多く混り、粒が大きく数が少ない。
・伊賀は信楽よりも固く焼けた印象を受ける。
・信楽自然釉の緑は黒味を帯び、そのビードロ釉には黄味を帯びているものがある。
伊賀のビードロ釉の緑は冴えている。
と、言われています。
信楽の時代鑑別
平安期は須恵器の技術により、端正で口作りがするどい形をしています。土殺しの(粘土の質を均一にして挽きやすくする)技術に優れ重量も軽い作品に仕上がります。この優れた技術は平安末期まで続きましたが、戦乱によって衰えてしまいました。
鎌倉時代には原始に戻り、土そのものの素朴さと技術的な稚拙さがあります。形はずん胴で、土を延ばす技術も乏しく、ただ積み上げただけのものでした。口の部分だけロクロを廻したように薄く仕上がっていますが、重量は全体に重いです。器形の大きなものは殆んどありませんでしたが、鎌倉末期になって作られるようになりました。
室町期に入ると、世間の需要が追い風となり、急激な技術の進歩をみせました。なで肩のものや、高い技術を必要とするイカリ肩のものまで多様な形を生み出し、大きな胴のはったものも作成されました。
成形は紐作りですが、ロクロで土を延ばしています。壷の場合、表面だけ美しく仕上げ、内面には紐作りの跡を残しています。室町期の作品の形は平安期のものより弱いですが、窯変(ようへん:陶磁器を焼く際に炎の具合や釉薬中の物質のコンディションにより予期せずおもしろい色や文様に変わること)の素晴らしいものが多くなります。
鎌倉から室町の作品では、器形の左右対称のものがほとんど無い理由は、ロクロの構造によるものと考えられています。
室町末期から桃山期には茶陶も作られ始めました。桃山のものは豪放で器形もしっかりとしており、人工的に灰をかけられたものも現れ、意図的に作られたさまざまな景色のものが見られます。計算された効果と自然の窯変とが相乗された、見事な作品が多数作られました。
江戸時代には表面的な技巧に走り、桃山期の力強い作品はなくなりました。
信楽の魅力は土の魅力
信楽の魅力は「土」そのものの魅力と言えます。長石や珪石、うに(木ぐされ)を多くかんだ荒い土ですが、この山なりの土をそのまま焼いています。紐づくりという古来からの方法で形をつくり、古来からの「穴窯」で焚き上げます。土の含有物と窯の炎、松の薪の降灰が相応じて、意図しないさまざまな造型が生まれます。赤く発色した火色、肩に掛った灰かぶり、それらが融けて流れた暗緑色の流れぐすり明るい肌を引き締めるこげ、土に溶け込んだ長石のツブなど。これら信楽の「景色」は、自然の窯変によってつくられます。
信楽のものは土、素地の荒さで判別できます。常滑や丹波などの土も、大きな珪石や小さな長石粒を含んでいますが、信楽ほど多量ではなく、素地肌の明るさも信楽ほど明るい肌合いのものはありません。
備前や越前、丹波、常滑は鉄分が多く、焼き上りが同じような暗い褐色となるため、まぎらわしい場合がありますが、信楽は肌色が明るいため区別がつきやすいです。
信楽の土「木節粘土」と「蛙目粘土」
信楽の土は「木節粘土」と「蛙目粘土」に分かれ、これらは比較的下部層の粘土です。
木節粘土は亜炭や腐った木の節などを含み、これら有機物でその色は黒味を帯びます。
蛙目粘土は珪石や石英の粒が蛙の目のように光り、色は白色です。
どちらも焼き上げると白くなり、美しい火色の出たものはこれらの粘土であると分かります。
比較的上部層にある鉄分を多く含んだ粘土もあり、黒く焼き上った信楽はこの土が使われ、「黒信楽」と呼ばれています。黒信楽の色は丹波や備前と見分けがつきませんが、長石や珪石が多いため、肌の荒さは信楽特有のものになります。
信楽の土は良質で無尽蔵と言われ、今も昔と同じ土を使っているため、信楽の時代判定は土ではなく、器形の成形技術で見る必要があります。
桃山時代に入って茶陶信楽が京都でも焼かれるようになり、信楽から大量の土が移入されましたが、京都では今でも陶土のことを「しがらき」と呼ぶ人がいて、信楽の土は代名詞になるほどに評判が良いと言われています。
ところが、それらの豊富な土が摂れなくなることが心配されるようになりました。
昨今、信楽にはゴルフ場や宅地が増え、大規模な総合レジャー・ランド建設の候補地にもなりました。陶土の採れるところはほとんどが緩やかな傾斜地で、ゴルフ場や宅地としても利用しやすいことから、次々とふさがれつつあります。
自然釉
窯の温度が1250度以上になると、器に降りかかった灰が融けて流れ出し、釉薬状になります。人為的にかけた釉薬とは違い、「自然釉」(または自然降灰釉)と呼ばれます。
ビードロ釉は燃料の松の灰と素地中の長石などが融け合って青緑色のガラス状になったもので、松灰には鉄分が含まれており、これが還元されて青緑色になります。
信楽の贋作の見分け方
鎌倉から室町へかけて焼かれた信楽の「蹲(うずくまる)」と呼ばれる小壷は、古くから茶席の花入などに使用され、現在でも大変人気があり、それだけに贋作も多く作られています。多くの贋作は二重口の作りが不自然で、全体にテカりが強く、形も美しく整い過ぎています。また、艶のない室町風の枯れた肌を巧みに真似したものもあります。外見が似ているものでも中を見ると、新しくテカテカとしたした光沢があるため、見分けることは可能です。
桧垣文の大壷の贋作は、自然釉や灰かぶりの自然なものではなく、人為的に灰釉を流したり吹きつけています。地肌も焼き過ぎているため光沢があり、勢いのない形をしています。
古伊賀の茶陶の名品については、真作と贋作の差は大きく、今のところはまだ正確に写すことは難しいと思われます。故意に流したビードロ釉が目立ち、器形も小さくまとまっています。
伊賀 耳付 花入
伊賀 耳付 花入
伊賀 耳付 水指
伊賀 耳付 水指
伊賀 耳付 飾壷
伊賀 茶碗
伊賀 茶碗
伊賀 香合
金彩色絵 急須
眞清水蔵六 伊賀写 茶碗
信楽 大飾壷
信楽 茶碗
信楽 うずくまる
信楽 高橋楽斎
信楽 寸越窯 神山清子
信楽 与介
信楽 緑釉 茶碗
信楽 北大路魯山人
信楽 北大路魯山人
信楽 北大路魯山人