加納夏雄(かのう なつお)
1828年~1898年(明治31年)、京都生まれ。本姓は伏見。
加納夏雄(かのう なつお)は幕末~明治にかけて活躍した彫金家です。
1828年に京都柳馬場御池通りで生まれ、7歳の頃に刀剣商加納家の養子になります。奥村庄八の元で彫金技術を学んだ後、1840年に大月派の金工・池田孝寿に師事します。一方で円山派の絵師・中島来章(なかじま らいしょう)に画を学びます。
1846年に独立し、京都で開業します。1854年には27歳の時に江戸に移り、明治の始めまで刀装具の制作にあたります。
1869年(明治2年)明治天皇の御刀金具の彫刻を命じられます。また、同年には新政府の新貨条例に伴い、大阪造幣寮に勤務し、新貨幣の原型制作に携わります。
1876年(明治9年)の廃刀令により、刀装具制作を断念。刀装具制作にあたっていた多くの金工師が廃業する中、加納は東京に戻り、置物や根付、花瓶などの生活用品を製作するようになります。
また、1873年(明治6年)のウィーン万博で日本の工芸品が多くの外国人に好評され、以降政府によって国内の工芸品が海外に輸出されるようになります。そういった時代背景の中、加納の名前も世界中に知られるようになります。
1890年(明治23年)、第三回内国勧業博覧会で「百鶴図花瓶」が一等妙技賞を受賞し、作品は宮内省買上となります。同年には第一回帝室技芸員に任命。さらに東京美術学校教授に就任しました。
加納夏雄の作風
人物、花鳥など、四条・円山風の写実的な意匠で金属面に表した、精巧で美しい図柄が特徴です。高彫、象嵌(ぞうがん/一つの素材の上に別の材料をはめ込むこと)などの複雑な彫りが施されることもあります。中でも片切彫りは加納の最も得意とする技法です。
※片切彫り(かたぎり彫り)…縁の片側を面に対して垂直に彫り、他の部分を斜めに彫っていく技法。
明治新貨幣の製作
1869年(明治2年)の新貨条例に伴い、明治政府から新貨幣の製作を命じられました。本来新貨幣はイギリスで原型を作る予定でしたが、イギリス人技師・ウォールトスは加納の製作した試作品を見てその技量の高さに驚嘆し、本国に持ち帰る必要性がない、と判断します。こうして新貨幣の意匠や原型の制作は加納に一任されることになりました。
主な作品
「鯉魚図額」/東京国立博物館蔵
「月に雁図鉄額」/東京国立博物館蔵
「春ノ山路図シガレットケース」/清水三年坂美術館
「百鶴図花瓶」/1890年(明治23年)/宮内庁三の丸尚蔵館