煎茶道の歴史
茶道、と言えば一般的には抹茶を用いた抹茶道を思い浮かべますが、「煎茶道(せんちゃどう)」も広くは茶道の一種です。
使用されている茶の種類が異なるのはもちろんのこと、中国宋時代(960年~1270年)の点茶法を継承し、禅の精神を追求し厳格な作法を持つ抹茶道と比べ、中国明代(1368年~1644年)を起点として江戸初期に伝来した煎茶道は、形式に縛られ過ぎず、自由な精神のもとにお茶を楽しむものとして広く親しまれてきました。
日本における煎茶の開祖は中国明の僧・隠元 隆琦(いんげん りゅうき 1592年~1673年)と言われています。1965年に日本からの強い招請により来日し、煎茶に限らず、美術や建築面など様々な明の文化を日本にもたらしました。1661年に隠元が建てた善寺・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)は外観や法式、お経に至るまで現在においても中国の様式を色濃く受け継いでいます。
江戸中期になると、売茶翁(ばいさおう 1675~1763年 本名 柴山元昭、晩年は高遊外と改名)が上流階級に限らず庶民にまで「お茶」を広めます。佐賀県蓮池町に生まれ、黄檗宗の僧となった売茶翁は長崎で煎茶の道を学び、60歳を過ぎた1735年には京都東山に「通仙亭(つうせんてい)」を構え、鴨川の畔で人々にお茶を売るようになりました。この「通仙亭」は日本初の喫茶店とも言われています。
江戸の末期から明治にかけて煎茶道は盛んになりましたが、明治維新による西洋文化の流入でその勢いは一時低下してしまいました。しかし煎茶復興の運動により、煎茶道の歴史は現代にも引き継がれています。
現在でも煎茶道の流派は多岐に渡り、1956年(昭和31年)に発足した全日本煎茶連盟に加盟しているだけでも、30を超える流派が存在しています。また、煎茶道具は同じ道具でも各流派で呼び名が異なることがあり、あるいは同じ名称でも別の道具を指していることもあります。