楽焼
楽焼を買取致します。
楽焼は陶工・長次郎を祖とする楽家歴代によって作られたやきもののことで、楽焼の茶碗を「楽茶碗」といいます。
印にもある「樂」というのは豊臣秀吉からこの印字を授かったことから楽焼となり、長次郎一族は楽家と呼ばれるようになりました。
楽焼査定のポイント
楽焼はお品物の状態が良いものを高く買い取っております。
特に黒楽茶碗を比較的多く取り扱っております。その他、楽焼(茶道具一式、茶碗、花器など)の買取は栄匠堂にご相談下さい。
楽茶碗について
楽焼は広義では楽家を本窯とし、楽家四代一入の庶子一元による玉水焼、また一入の門人であった長左衛門が金沢で開窯した大樋焼があります。
楽焼は茶人・千利休の創意のもと誕生しました。
その為、楽焼は茶の湯とともに発展し、特に茶碗は利休の詫び茶の美意識が詰まった作品になっています。
大樋焼
楽茶碗の特徴の一つとして制作過程があげられます。
他のやきものとは異なり、轆轤(ろくろ)を使わず手捏ね(てづくね)(※1)でひとつひとつ作っていきました。量産性であった当時、あえて一つの作品に意を込めながら作る楽焼は、柔らかく丸みを帯び手に添うような雰囲気を醸し出しています。
黒色をした茶碗を黒楽茶碗(くろらく)、赤色をした茶碗を赤楽茶碗(あからく)といい、他に白楽もあります。
これは長次郎の時期から作られている茶碗であり、彼の茶碗はこの黒楽と赤楽の二種類に限られます。
しかし茶碗以外の作品では、二彩または三彩を用いた中国陶芸の技法の作品も見られ、それは二代常慶やその父・田中宗慶も遺しています。
楽焼はこのような中国陶芸の影響も受けていたことがわかり、その経緯は長次郎の父親が朝鮮か中国系の出身という説も関係しているかもしれません。
その後三代道入の時期に楽茶碗の基礎がほぼ完成されます。
それは芸術家・本阿弥光悦との関わりが関係しているとされています。
利休とも関わりがあり、二代、三代親子に陶芸を教わり作陶のキャリアを積んでいきました。
そんななか楽茶碗は軽やかさのある胎土に黒釉は光沢を持つようになり、また赤楽も色の彩度が上がるなど楽焼の釉質の多様化が見られ、作行きが変化していきました。
現在十五代まで続く楽焼は代々長次郎の意匠を根底に、自己の作風を築き活動を続けています。
※1)手捏ね(てづくね)—手びねりともいう。やきものの成形方法の一つで、楽茶碗の代表的な手法。轆轤や型を使わず、土の塊を指先で伸ばしながら形をつくるもの。