450年~500年続いていると言われ、京都で2番目に古いお店とされている「みなとや幽霊子育飴本舗」にはこんな逸話が残っています。
時は1599年(慶長4年)。とあるお店に、夜ごと女性が飴を買いに来ていました。
女性は毎回1文(現在の約10円)を手にして飴を買いに来ましたが、ある朝、店主がお金を入れて置いた箱の中を見てみると、樒(しきみ)の葉(お墓にお供えする葉)が入っていることに気づきました。
店主は女性を疑い、その夜、飴を買いに来た女性の後を着けていきました。
平安時代以前から京の埋葬地となっていた場所、鳥辺山まで来ると、女性はある墓地の前で”すぅー”っと姿を消し、お墓の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきました。
翌日お寺の住職と共にお墓を掘ってみると、飴をくわえた赤ん坊が出てきました。
女性の幽霊は赤ん坊をみごもっている時に亡くなり、土葬された女性であると思われましたが、女性が亡くなった後も赤ん坊はお腹の中ですくすくと育ち、お墓の中で赤ん坊が生まれ、母親は母乳を与えられないために、幽霊となってお店に飴を買いに来たのではないかと伝えられています。
この逸話から、このお店の飴は「幽霊子育飴」と名付けられました。
赤ん坊はお墓の中から8歳になるまで飴屋さんで育てられ、8歳になると立本寺(仁和寺の近く)に引き取られてお坊さんになり、68歳まで生きたと言われています。
現在も多くの人が飴を買いに訪れます
六道珍皇寺へのお参りの際に立ち寄れる場所でもある「みなとや幽霊子育飴本舗」さんには、現在も多くの人が飴を買いに訪れます。幽霊が赤ちゃんを育てるために購入していた飴ということもあり、妊娠中の女性、授乳中の女性、お子さんのおやつに購入される方も多いそうです。
慶長時代は、お箸に飴を巻いて水あめのように販売されていた飴ですが、現在は固形の飴として販売されています。
材料は麦芽糖とザラメ糖のみを使用しています。麦芽糖とザラメ糖を溶かして容器に流し込みます。飴が固まったら一口サイズになるように砕きます。琥珀色に輝くつややかな飴は、味も製法も昔と変わらず、幽霊の赤ん坊が食べた時と同じ、昔ながらの懐かしい味がします。
お墓から赤ちゃんが出てくる…と言えば?
お墓から赤ちゃんが出てくるお話と聞いて、何か連想しませんか?
そうです。「ゲゲゲの鬼太郎」は元々「墓場の鬼太郎」というタイトルで描かれていました。漫画家の水木しげる先生の「墓場の鬼太郎」の登場シーンは、この逸話をきっかけに生まれたそうです。