【1】青森県
津軽塗(つがるぬり)
青森県津軽地方では江戸時代中期頃から漆器産業をしていたとされます。当時は日本各地で工芸品が誕生し発展していた時代。
津軽塗もその時期から成立したと考えられ、津軽塗の言葉が表れるのは明治時代からとされます。
江戸時代、塗師・青海源兵衛が師から学んだ技術と独創的な考えなどから様々な漆器を作り出しました。幕末までは刀を納める鞘などを手掛け、その後は調度品などが作られました。津軽塗は現在、唐塗・七々子塗・紋紗塗・錦塗の四技法が伝わっています。頑丈で実用性に富んだ、品のある美しい漆模様が特徴的です。
【2】岩手県
秀衡塗(ひでひらぬり)
秀衡塗のはじまりは平安時代にまで遡ります。奥州平泉(岩手県)の当主藤原秀衡は、京より職人を招き器などを作らせました。職人たちにより作り継がれていき、江戸時代後期から平泉の近隣の村で漆器製造が行われ、現在も続いています。
漆に金箔や朱を使い、「源氏雲」と呼ばれる雲の形と、「有職菱文様(ゆうそくひしもんよう)」と呼ばれる菱形がいくつも描かれた文様の組み合わせが特徴的です。
下地は本堅地を使用し、強度がありながらふっくらした形状は現代の人々にも受け入れられています。
【3】宮城県
鳴子漆器(なるこしっき)
宮城県の鳴子で作られている伝統工芸品・鳴子漆器のはじまりは江戸時代からとされます。史料によると主要産物の中に塗物がでてくるなど、昔から生産が盛んだったことが伺えます。
特徴は塗の技術にあり、木目を生かした木地呂塗やふき漆仕上げ(ふき漆塗)、墨流しの竜文塗で、しっとりとした艶感があります。丈夫なため日用品としても定評があり用いられている漆器です。
【4】福島県
会津塗(あいづぬり)
会津塗のはじまりは不明ですが、安土桃山時代、当時の領主蒲生氏郷が滋賀より木地師や塗師を招き伝承させ、漆工芸を奨励したとされます。それにより技術は向上、漆栽培から加飾まで手掛けるようになり、江戸への移出や海外輸出など発展していきました。幕末の戦火で打撃を受けるものの、地域の復興と共に漆器産業も復興を遂げ現在に至ります。鉄錆塗・金虫喰塗・木地呂塗・花塗などの技法を特徴とします。
【5】神奈川県
鎌倉彫(かまくらぼり)
鎌倉彫は木地に文様を彫り、その上に漆を塗り仕上げた漆器で、鎌倉市やその周辺地域で作られています。鎌倉時代、中国より禅宗のほかに伝来した堆朱(ついしゅ)や堆黒(ついこく)の美術工芸品に影響を受けた仏師たちが、仏具を手掛けたことがはじまりとされます。やがて訪れる茶の湯の時代では香合や香盆、茶道具などが珍重されました。
しかし明治時代の神仏分離令により寺院は衰退、仏師の仕事も失います。そこで立ち上がった二人の仏師(後藤齋宮、三橋鎌山)は、仏具制作から生活の中で使われる工芸品としての鎌倉彫という新たな道を見出しました。その後、鉄道の開通に伴い観光客の土産物として発展しますが、地元の人々にも日用品として愛される漆器です。
【6】新潟県
村上堆朱(むらかみついしゅ)
村上堆朱(村上木彫堆朱)は新潟県村上市で作られ、新潟県無形文化財そして国の伝統的工芸品に指定される漆器です。はじまりは江戸時代、城下町であった村上市は古くから天然の漆を産出していました。その漆を活かし、堆朱を始め堆黒(ついこく)、朱溜塗(しゅだめぬり)、色漆塗(いろうるしぬり)、金磨塗(きんまぬり)、三彩彫(さんさいぼり)と様々な技法を生み出しました。
模様は主に花鳥、艶消し仕上げをしているため使う度に艶が増し、味わい深くなります。数百年経った現在も技は受け継がれ、作られ続けています。
【7】石川県
輪島塗(わじまぬり)
輪島では平安時代より漆器が作られていたとされます。輪島塗のはじまりはそれより下り室町時代とされ漆器生産が行われていたと考えられています。江戸時代には生産組織(塗師や木地師、蒔絵など)の分業化、京都や大阪などにも販路は広がり、やがて全国各地へ、海外からも注文を受けるようになりました。
輪島塗は主に信仰用の器として作られていましたが、後に日用品としても求められるようになり、丈夫な漆器を作る為改良がなされます。1600年代、輪島近辺に産する漆や地の粉(珪藻土)などの豊富な材料を用いた堅牢な下地作り「本堅地法」は輪島塗の基本的工法になりました。江戸時代中頃以降は文様を施すようになり、沈金技法の考案や蒔絵の導入などにより華やかさが加わりました。昭和になり伝統的工芸品、重要無形文化財、輪島塗の制作用具は重要有形文化財の指定を受けるなど、現在は日本を代表する工芸品として知られています。
山中漆器(山中塗)(やまなかしっき(やまなかぬり))
はじまりは安土桃山時代、木地師の集団が加賀市山中温泉の上流にある真砂に移住し作り始めます。やがて麓の温泉客への土産物として売るようになり、江戸時代には京都や金沢など各地から塗りや蒔絵の技術を導入、茶道具なども作り発展していきました。
山中漆器の特徴は木地にあります。木地師、指物師、曲物師など木地を扱う職人の中でも轆轤で挽く挽物木地師は高い技術を持っています。木地の木目など素材を活かした仕上がりを得意とし、椀など様々な器を手掛け食卓を演出してくれます。
【8】福井県
越前漆器(越前塗)(えちぜんしっき(えちぜんぬり))
越前漆器のはじまりは古く古墳時代末期。 当時の皇子が片山集落(現在の福井県鯖江市片山町)に冠の修理を命じた際、修理に併せて献上された椀の出来栄えに感動し、その集落に漆器作りを奨励したとされています。越前には漆かきという、漆液を採集する職人がおり、最盛期は全国の半数を占めるほどの漆の産地でした。豊富で上質な漆に蒔絵や沈金など様々な技法を導入し、堅牢でありながらも華やかで装飾性のある作風に変化していきました。明治期には膳類の製作もはじめ、技術の幅は広がります。やがて他方へも生産するようになり、越前漆器の名は世に知れ渡っていきました。
若狭塗(わかさぬり)
現在の福井県小浜市周辺で作られる漆器・若狭塗は、江戸時代、小浜藩の御用職人が若狭湾の海底模様を図案化して作ったことがはじまりとされています。その原型を改良した菊塵塗(きくじんぬり)、その後、磯草塗(いそくさぬり)が生まれ、現在伝わる若狭塗は万治年間(1658-60)に完成しました。特徴は研出し技法という、貝殻や松葉などの模様の上に漆を塗り重ねて研ぐ技法を用います。美術品としても日用品としても扱われ、特に塗箸は国内でも多く生産されています。 職人一人一人が一貫して行うために個性的な作風が見られる若狭塗、現在も人気のある漆器の一つです。
【9】岐阜県
飛騨春慶(ひだしゅんけい)
飛騨春慶は岐阜県高山市、飛騨市で作られている春慶塗の漆器です。江戸時代、当時の高山城主・金森重頼の兄重近(金森宗和)に大工が盆を献上し、それを気に入り塗師に塗らせたのがはじまりとされます。天然木に黄金色または飴色の艶のある春慶漆、木目の美しさを活かした仕上がりが特徴的です。茶器から日用品へと幅広く用いられるようになった春慶塗。衰退という苦難を乗り越え、特産品として現在も作られ続けています。
【10】京都府
京漆器(京塗)(きょうしっき(きょうぬり))
蒔絵(まきえ)は京漆器の中でも代表する技法で、京塗、京蒔絵とも呼ばれます。奈良時代に現れ、平安時代に発展、研出蒔絵や平蒔絵などが完成、鎌倉時代以降は蒔絵師が登場、高蒔絵など新たな技法も登場しました。東山文化(室町時代)に作られた作品は当時のわびさびも表現された京漆器を代表するものと言えます。その後は高台寺蒔絵など華麗な作風が登場し、繊細さも加わるなど時代と共に変化していきました。黒漆に文様や詩を描き、金粉や銀粉を蒔き付ける。その意匠は芸術品としても価値のある漆器として現在でも人々を魅了し続けています。
【11】和歌山県
紀州漆器(根来塗)(きしゅうしっき(ねごろぬり))
和歌山県海南市黒江を中心に作られている紀州漆器は、会津塗(福島)、山中漆器・輪島塗(石川)とともに日本三大漆器と称れています。はじまりは室町時代、紀州の木地師により渋地椀が作られたとされます。また根来寺(和歌山県岩出市)の僧侶らが膳や椀などを作ったことも起源の一つとして伝えられています(根来塗)。
その後、豊臣秀吉による根来寺焼き討ちにより僧侶らが海南市に移住、漆工を開始、江戸時代には藩の保護のもと発展していきました。やがて蒔絵などの加飾が施されるようになり、明治期には沈金彫の導入、変わり塗の考案(天道塗、錦光塗、シルク塗)など技法の改良がなされました。
【12】島根県
八雲塗(やくもぬり)
出雲の古歌「八雲立つ」より命名された八雲塗。明治時代初期、松江藩の塗師坂田平一が創案、作りました。八雲塗は、木地に絵付けを施し、透明な漆(透漆)を塗り重ね研ぎ出して仕上げます。何度も塗り重ねたことで、使用すればするほど丈夫になり、描かれた模様は色鮮やかになる独自の特色があります。
【13】香川県
香川漆器(かがわしっき)
はじまりは江戸時代、玉楮象谷が大陸から伝わってきた技法(蒟醤(きんま)や存清(ぞんせい)など)に日本古来の技法を加え香川漆器の礎を築いたとされます。現在は蒟醤・存清を始め彫漆・後藤塗・象谷塗の5つの技法が国の伝統的工芸品に指定されています。盆や茶托、座卓、飾棚など種類が豊富なことも特徴の一つです。それぞれ特色のある技法、そして豊富な用途は様々な場で活躍しています。