棗(なつめ)
骨董品専門店・栄匠堂では全国のみなさまから棗(なつめ)を買取しております。
皆様が先代様から譲り受けられた棗や、収集されていたお品物など、茶道具のご売却をお考えの際は栄匠堂にご相談下さい。
棗はお茶を入れる器として愛用され、素材の地を活かしたシンプルなものや、カタチの美しさ、金蒔絵などによる豪華な装飾が愛好家の心をつかむ骨董品です。小さな器ですが、評価されるものであれば、思わぬ高額査定がつくこともあります。
不要な棗がございましたら、ぜひ骨董品買取査定にお出し下さい。
棗の買取査定はここを見ています
・汚れ、埃(ほこり)、欠け、割れ、傷など
・付属品の有無(箱、説明文、作家の紹介など)
・作家が分かる資料
・時代
古いほど高額査定の可能性があります
時代新しいものは未使用品や美品が好まれます
・意匠
蒔絵がほどこされている漆器ものは高額査定の可能性があります
棗の市場取引
骨董品として取り扱われる棗は、市場で数千円~数十万円と幅広い価格設定で取引されています。装飾がない漆器の場合は、時代による評価が影響し、古いほど高額になります。
金の蒔絵の意匠や装飾が美しいものは数万円の価格がつくこともあり、表千家、裏千家といった名品になると数十万円以上の価格がつくこともある貴重な品です。
棗(なつめ)とは
茶道具のひとつ「棗」は抹茶を入れる蓋つきの容器で、木製で漆塗りのものが多く使用されます。一般的には、薄茶(うすちゃ※1)を入れる薄器を棗と呼び、容器のカタチが植物の「ナツメ」に似ていることから名付けられたと言われています。
元々は黒漆塗りの落ち着いた意匠のものが多く、飾り気のない造形は、茶道具に優劣をつけている茶の場への抵抗を表しているとも言われています。
形は利休型の大棗・中棗・小棗を基本として、その他多様な種類の棗があります。
(※1)
抹茶には黒味を帯びた濃緑色の濃茶(こいちゃ)と、鮮やかな青緑色の薄茶(うすちゃ)があります。
濃茶を入れる陶器の入れ物を濃茶器(茶入)、薄茶を入れる漆器などの塗り物の容器を薄器と呼び、一般的には薄器を棗と呼ばれています。
棗のはじまり
棗の元は、茶器の薬籠(ヤロウ)などと同様に、薬などを入れていた漆塗りの器が転用されたものであろうと推測されています。
棗のはじまりについては諸説あり、現在最も有力な説としては次のように言われています。
「天王寺屋茶会記(てんのうじやちゃかいき)」の永禄7年(1564年)8月20日の津田宗達の茶会で用いられたのが初めての例であり、他の木製の茶器よりも随分と下っていることが分かっています。
その後、千利休好みとされる棗が利休系統の茶人の間で用いられるようになり、江戸時代には薄茶器として一般化したとされています。
本来は黒漆塗りのシンプルなものでしたが、茶入と同時に用いられるようになることで、次第に書院飾りに適した豪華な蒔絵が施されるようになりました。
棗のはじまり、その他の説
【棗のはじまり 説1】
室町時代中期に、塗師の羽田五郎が茶人・村田珠光(1422~1502年)に納めたものが始まり。
※藤田美術館他に羽田五郎作の伝来を持つ古様の棗が数点現存しているが、史料による裏付が無い。
【棗のはじまり 説2】
戦国時代の茶人・武野紹鴎(1502~1555年)好みとする棗が現存しているため、それらが始まり。
【棗のはじまり 説3】
「隔蓂記(かくめいき)(鳳林承章が1635~1668年に書き綴った日記)」の寛永20年(1643年)に「梅の花が棗に入れられている」という記述があり、江戸時代初期までは棗が茶器に限らず用いられていたことを示していると言われている。
【棗のはじまり 説4】
江戸時代元禄期(1688~1704年)の茶書「源流茶話(げんりゅうちゃわ)(藪内竹心)」に記載されている棗が、肩衝茶入(かたつきちゃいれ)の挽屋(ひきや)を転用したものである。