望月玉泉(もちづき ぎょくせん)
1834年~1913年(大正2年)、京都室町竹屋町生。
望月玉泉は明治から大正にかけて活躍した日本画家で、望月派という江戸時代から続く京都の絵師の家系に生まれました。父の望月玉川(もちづき ぎょくせん/1794年~1852年)、また玉泉の息子である望月玉渓(もちづき ぎょくけい/1874年~1913年)も日本画家です。
父の玉川に絵を学び、円山・四条派、岸派の画法を取り入れながら、写実的な画風を確立していきます。次第に山水や花鳥画で京都画壇に名を知られるようになり、望月家の家督を継ぎ望月派の四代目となります。
望月家は代々御所への出入り許され御用を務める家系で、1855年には京都御所造営に際して襖絵である「有虞両妃図」を描き、明治天皇即位の折には「山茶梅(花カ)戯犬の図」と「岩藤熊萩野猪図屏風」を献納しています。
1878年(明治11年)には幸野媒嶺(こうの ばいれい/1844年~1895年)らと共に京都府画学校の創設に携わり、自らも指導にあたりました。
印刷局、博物局からの命により模写を行った正倉院御物の模写では、1882年(明治15年)の内国絵画共進会で絵事功労の褒章を受けます。また、地元である京都博覧会でも受賞を重ねました。
1900年(明治33年)にはパリ万国博覧会に出品した「雕養雛図」は好評を得、1904年(明治37年)には帝室技芸員に任命されます。
かつて玉泉が暮らした地は現在京都市中京区室町通丸太町に「望月玉泉居住地」として石碑が建てられています。
主な作品
「岩藤熊萩野猪図屏風」/東京国立博物館蔵
「湍淵遊鱗図」/東京国立博物館蔵
「花卉鳥獣図巻」(国井応文との合作)/京都国立博物館蔵
「芦雁図」/1906年(明治39年)/京都大原三千院・襖絵
「猫柳雁図」/ボストン美術館蔵
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